目標があった頃のわかりやすさ
数値を下げる、状態を安定させる。
そうした目標がはっきりしていた頃は、日々の判断が比較的わかりやすかったように思います。
良いか悪いかは数値が教えてくれる。
その基準に沿って生活を調整することで、前に進んでいる感覚もありました。
緊張感はありましたが、同時に、迷いは少なかった気がします。
向かう先が決まっていると、人はそれだけで動けるものです。
目標が消えたあとの戸惑い
数値が落ち着き、大きな課題が見えなくなったとき、
ふと立ち止まる瞬間がありました。
何かを達成した実感はあるのに、次に掲げる目標が浮かばない。
この状態は、想像していたよりも静かで、少し手応えがありませんでした。
頑張る理由がなくなったわけではない。
ただ、何を指標にすればいいのかが、急にわからなくなったような感覚でした。
新しい目標を探そうとしていた
最初は、自然と次の目標を探そうとしていました。
数値をさらに良くする、もっと整った生活を目指す。
けれど、そのどれもが、どこか無理をしているように感じられました。
以前のような切迫感もなく、必要性もはっきりしない。
目標を持つこと自体が目的になってしまうと、
かえって今の状態から離れてしまうような気がしました。
基準は、変化ではなく感覚だった
しばらく考えて気づいたのは、
目標の代わりに、基準を持てばいいのではないか、ということでした。
良くなったか、悪くなったかではなく、
「無理がないか」「極端に偏っていないか」。
数値ではなく、自分の感覚に近いところで判断する。
それは曖昧ですが、今の状態には合っているように感じました。
調子がいい日を、特別扱いしない
基準を感覚に置くようになると、
調子がいい日も、あえて特別には扱わなくなりました。
良い日が続くと、つい何かを積み上げたくなります。
けれど、その勢いが、後の疲れにつながることもあります。
今は、良くても淡々と、
悪くても必要以上に引きずらない。
その中間を保てているかどうかが、
一つの目安になっています。
何もしない日も含めて考える
目標があった頃は、何かをしていない日が気になっていました。
記録しない日、意識しない時間。
今は、それらも含めて日常だと捉えています。
何もしない日があるから、続いていく。
基準を厳しくしすぎないことも、
今の自分には大切な要素です。
立ち位置を確認するための基準
目標は、前へ進むためのもの。
基準は、今どこに立っているかを知るためのもの。
そう考えると、目標がなくなった今も、
何も失ってはいないように思えてきました。
大きく前進しなくても、
大きく後退していなければいい。
その確認ができていれば、
日々は十分に成立しているのだと思います。
今の私にとっての答え
目標がなくなったあと、何を基準にするか。
今の私にとっての答えは、とても控えめなものです。
無理が続いていないか。
関心が完全に途切れていないか。
日常が、日常として回っているか。
その程度の確認で、今は十分だと感じています。
目標がなくなったからこそ、
ようやく見えてきた基準なのかもしれません。